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2019.08.08 | culture

「大溪人だけじゃない!みんなで作り上げる大渓大拜拜」 大溪大禧とBIAS Architects & Associates

筆者/黃麗如 撮影/汪正翔 翻訳/華原許

昔から大溪の若者にとって、関帝生誕祭は大人たちだけで行う行事というイメージであった。大溪の子どもたちは幼い頃に参加したきりで、大人になってからは疎遠になっている場合が多いようだ。しかし、今回の「大溪大禧」は、家を離れた多くの子どもたちを呼び戻せ、尚且つ多くの仲間を誘って戻ってくるだろう。

台湾桃園県大渓小学校の向かい側のバスケットボールコートにホリゾンドが設置された。舞台上では「拝めば加護あり、拝めば加護あり、6月24日に神迎え、大渓人の年越しだ。此れ共に行こうぞ。」と役者は歌い、そして踊る。また、音楽と共に神将が続けて登場し、台湾の民間信仰特有の踊りを見せる。舞台下には数百名の観客の持つうちわが波のように揺れている。

子ども二人連れて祭典に参加しているのは、台湾在住のインドネシア人花嫁の美娟さん。「今年の大渓の祭典は例年と一味違いますね。遶境(台湾の民間信仰の供養活動における巡礼)以外にも子ども連れで楽しめるイベントがたくさんあって良いですね。」と語る彼女は、台湾に嫁いできてから7年目になる。大渓で生活し始めて一番面白いと思う祭典が、毎年の夏に行われる関聖帝君(以下:関帝)の生誕祭である。「農暦6月24日になると、県外で働いている大渓の方たちが関帝の生誕を祝いに帰ってくるんですよ。それでいて、大渓の街全体がお祭り状態で、旧正月の時よりも賑やかになるんです。ちなみに、街中の遶境は昼から晩まで続いて、個人的には台湾で一番楽しい行事だと思います。」と彼女は語る。

今年の大溪で最も賑やかになるのは関帝生誕祭の日だけではない。今回は3週間という期間で行い、「大渓大禧」という名前で、BIAS Architects & Associatesとデザイナーたちが大渓の地元民と協力し合い、例年の大規模な関帝の生誕祭を基礎にした多くの趣が織り交ざたイベントが行われようとしている。これは民俗信仰とモダンデザイン、芸術、地方の創生などの行事とが織り交ざった一大イベントなのだ。

去年の頃、桃園市政府文化局と大溪木藝生態博物館(Daxi Woodart Ecomuseum)からこの一大イベントの委託を請け負ったキュレーターの劉真蓉は、元々の名前の「大溪文藝季」から「大溪大禧」に変更することを心に決めていた。その理由として彼女はこう語っている。「命名し直すことは、新たに意味付けを表す行為です。つまり、『大溪大禧』と命名することは、より地方の祭典の容貌を体現することに繋がり、このように意味付けすることで、その土地の都市空間が広がり、人と土地との関係性をより密接にすることができるのです。」

 


BIAS Architects創設者劉真蓉(左)


2年前、20万人もの来訪規模を記録した劉真蓉がキュレーターを務めた「白晝之夜」は、各地域で催していったことで台北の都市空間を切り開いていったと言ってもいいだろう。今回の「大溪大禧」は、地方の祭典に新たな意味を付与し、一見相反するように見える民俗信仰とモダンデザインとの対話を実現させたのだ。このイベントを催す前までは、大渓について認識もなければ、社頭文化がこんなにも由緒ある歴史であることも知らなかったと語る劉真蓉は、入念なフィールドワークと調査によって手に入れた資料を通して初めて社頭文化について理解を深めていった。ちなみに、彼女によれば、「社頭」とは旧暦6月24日の大渓で祭典に参加する団体の特有の呼び方であり、所謂「子弟班」「軒社」と呼ばれているようである。

大渓の民俗文化を構成する重要な一要素でもある31組の社頭は、地元の様々な業界の団体から構成されており、彼らは自発的に陣頭(tīn-thâu/台湾民間信仰の祭典の際に行う太鼓や踊り等の伝統的パフォーマンスを指す)の技芸を学んだり、祭典に参加したりしている。過去に劉真蓉が催した「白晝之夜」は、彼女慣れ親しんだ町と文化的な背景があったが、今回行われようとしている宗教信仰の要素が色濃い「大溪大禧」は、彼女にとっても新たな挑戦でもあった。

例年上、旧暦6月24日の関帝生誕祭は、大渓普済堂を中心に大溪の大規模な拜拜(バイバイ/台湾民間信仰における供養活動、またはお祈り)が行われる。また、遶境も普済堂主催で行われていた。普済堂委員長の陳義春が言うには「従来、繞境の行事は大溪文芸シーズンの一行事として旧暦6月24日に行っていました。正直に言いますと、昔から各々のやりたいようにしていますし、大渓の遶境も歴史のある祭典なので、政府の文化局が介入しなくても、元から大勢の方が参加していまいた。」というように、本来のところ、大渓普済堂は地元以外のキュレーターチームが地方の祭典を企画することを認めていなかったのである。

このように疑念を抱かれながらも、地方の人たちとの仲を取り繕うために、劉真蓉ともう一人のキュレーター楊婷嵐は懸命に大渓31組の社頭とコミュニケーションを重ねていった。当時について楊婷嵐はこう語る。「廟側と社頭の皆様に我々の構想を伝えて、ご協力とご賛同、そして皆さんにこの企画を理解してもらおうと何度もやりとりをしました。例えば、現代的なパレードをはじめとするエレクトロニック・ロック、新たな要素を付け加えた「與神同巡(仮訳:神と共に巡礼)」の遶境などの祭典は、関帝生誕祭をより尊いものにするためで、決して文芸青年のお遊びではないということをどうにか理解してもらいたかったです。」

今回、「大溪大禧」は、地元の信仰に関与しているため、地元の人たちから、祭典自体が本来とは全く異なる内容になってしまったり、民間信仰に背くような内容になってしまったりするのでないかと懸念の声が上がっていた。そのため、劉真蓉はより慎重に事を運び、伝統を下地とした企画で、彼らから賛同を得て初めて協力し合っていかなければならないと語っている。また、キュレーターチームは、祭典が行われる旧暦6月24日の三週間前の全活動を「前祭」とし、地方の信仰風習を変えるためのイベントではなく、全ては関帝生誕祭のための行事であることを強調している。



社頭たちに企画の内容を理解してもらった後、今年の遶境に新たな目玉を付け加えるために、劉真蓉は五組の社頭と彼女が招待した五名のモダンデザイン界のデザイナーの間を取り持って話をまとめていった。ここで五名のデザイナーを簡単に紹介しておこう。ビジュアルデザイン担当のグラフィックデザイナーの廖小子(Godkidlla)、衣装デザイン担当のファッションデザイナーの陳劭彦(SHAO YEN)、祭典音楽に新たな風を吹き込むのはクロスオーバーミュージシャンの柯智豪(Blaire Ko)、祭典の旗のデザイン及び旗の再解釈・再構築を行ったのは東邦美学の発揚を努めているモダンデザインのデザイナーの呉孝儒(PiliWu)、伝統的な祭典の核心を華麗なアニメーションで表現したのは銀河芸廊(GALAXY GALLERY)である。

伝統を礎とする共通認識の中で、ファッションデザイナーの陳劭彦は祭典の際に着る雷公と電母のコスチュームを新たに製作した。より身軽で通気性の高い素材と、グラデーションを衣装を取り入れることで、陣立ての際に服が激しい動作に適し、更に見栄えも良いコスチュームを創り上げた。新しいコスチュームが7月14日の「與神同巡」の遶境メンバーの際に発表された際、雷公と電母のデザインが高く評価され、地元からの評価も「愛嬌がある」と噂になっている。

一方、祭典の旗のデザインを担当している呉孝儒は、社頭の看板を象徴する旗から遶境当日の利便性とビジュアル効果のヒントを得た。「社頭の旗は栄誉を象徴していると同時に、社頭を代表する看板でもあるのです。」と呉孝儒は、看板である以上は旗をより目立たせ、毎回遶境が終わったとしても、コレクションとして残せるようなものを創るべきだと語っている。

社頭との話し合あったの結果、彼は伝統的な布の旗の代わりに、ネオンライトで旗を製作することに決めたのだ。この決定事項について呉孝儒は「台湾は以前ネオンライト生産の主な地域だったのですが、今は年配の方しか作っていません。ネオンライトの製造はとても難しい工程で、そのためネオンライトの色温度はLEDでは表せないんですよ。ちょうど今回の『大溪大禧』で、ネオンライト工芸のすごさを皆さんにお見せできますね。」と語る。社頭たちがより順調に遶境を行えるために、彼はネオンの旗の下に車輪を設置し、より身軽に大通りや路地を滑走できるようにし、遶境が終了した後も、室内展示品や社頭の看板として残すこともできるようにしたのだ。

デザイナー陳劭彦による雷公と電母の新しいコスチューム。より身軽で通気性の高い素材と、グラデーションのある仕上がりにした。雷公電母の陣立ての際に、服が激しい動作に耐え、動きが更に華麗に見えるようにデザインされている(写真提供:BIAS Architects & Associates)

 

しかし、新たな要素を取り入れたとしても、大溪の人たちがすぐに受け入れるとは限らない。長期にわたり民俗的美学を研究している廖小子は、舞龍陣で名の知れた「新勝社」の書体製作に取り掛かった際に大きな課題に直面していた。何度も楷書で「新勝社」と書いては思案を巡らせる中で、字自体にシンボル性と呪文的な要素を帯び、見る人すべてに竜の躍動感を感じてもらえるようにするために、一筆ごとに竜の舞う姿が見えるかのような気韻に溢れているマークを製作した。しかし、作品完成の当初、マーク化された文字が一般の人たちに理解してもらえるのか、また逆に認識度を下げることになってるのではないかといった懸念の声が上がり、新勝社に認めてもらえなかったのだった。

デザイナーと社頭との仲立ちを行う立場であるBIAS Architects & Associatesは、社頭たちの懸念をうまく解消するため、新勝社の方たちに「一般的な整った楷書より、廖さんがデザインした字体のほうが、逆に見る者の好奇心をくすぐり、なんて読むか知りたくなりますし、新勝社自体に関心を寄せることに繋がるのでは?」と説得を試みたのだった。

説得の甲斐あって、社頭は劉真蓉の意見を受け入れたのだ。ここのやり取りで興味深かったのは、廖小子と社頭の間で激しい討論が繰り広げられている中、廖小子が台湾のグラミー賞(金曲賞)を受賞したのだ。当時について、劉真蓉は笑みを浮かべながらこう語る。「本当にちょうどいいタイミングで受賞したもんですよ。彼の作品は瞬く間に大溪の人たちに認められましたし、これも関帝のご加護かもしれませんね。」


今回の企画は「與神同巡」の遶境から台湾オペラ「慶公生」の公演に至るまでの一連のイベントが組み込まれている。大溪大禧で行われる全てのイベントは、唯一無二であると同時に、大溪のためだけの行事であると劉真蓉は語っている。

李騰芳の古民家で催した嘉天神將團による「神嬉舞夜」 (画像提供:BIAS Architects & Associates)


昔から大溪の若者にとって、関帝生誕祭は大人たちだけで行う行事というイメージであった。大溪の子どもたちは幼い頃に参加したきりで、大人になってからは疎遠になっている場合が多いようだ。しかし、今回の「大溪大禧」は、家を離れた多くの子どもたちを呼び戻せ、尚且つ多くの仲間を誘って戻ってくるだろう。

李騰芳古民家で行われたイベント「神嬉舞夜」は、音楽グループの三牲獻藝(Sam-seng-hian-ge)をはじめとする拍謝少年(Sorry Youth)、銀河芸廊(GALAXY GALLERY)、小事製作(Les Petites Choses Production)、青年地元の青年男女により組織された団体の嘉天神将団と共に、ライトアップした古民家とエレクトロ・ロックを結び付け、2千人近くもの参加者を集めた。つまり、「大溪大禧」はもう従来の大溪の大人たちだけで行う祭典ではなく、より大規模で多元的な祭典に生まれ変わったのだ。

そのほかにも、今年の「大溪大禧」は、旧正月の三週間前から行われる一連の行事であるため、町外の多くの方が公演や音楽、パレードなどのイベントを通して大渓の民俗文化の祭典を知ることになるだろう。年僅か三十代の嘉天宮同義堂總幹事となった張書武は「今年の宣伝企画と説明によって、現地の方と他所から参加してくださった多くの方たちに、大溪の社頭文化を知ってもらうことができました。特に7月14日の『與神同巡』の繞境は初の試みと同時に一大イベントでして、とても分かりやすく社頭31組の特色を表現できたかと思います。」と語っている。

社頭文化の発祥は、日本統治時代の労働団体から生まれ、彼らは遶境を通して神様に祈り、大溪にいる全員がこの土地で発展できることを関帝に祈っていた。そのため、この行事に参加できること自体とても有難いことだったのだ。当時のことについて張書武はこう語る。「一般的には、大溪出身の方はこの日に必ず休暇を取って、関帝のご加護を授かりに大溪まで帰ってきます。このような文化的な意識が今の大溪の若者にもありますので、大溪の社頭は現在に至るまでも活気にあふれているのです。今回の『大溪大禧』を通して、より多くの方に社頭の文化を知ってもらうことが、今年の祭典の一番の狙いであり、収穫でもあるとと思います。」

以前に催した「白晝之夜」から今回の「大溪大禧」まで、劉真蓉が率いるチームは、異なる地域で都市空間を築いていった。それと同時に、その土地ごとに埋め込まれている共通の記憶も呼び覚ましていった。彼女にとって、今回の狙いは、若者が故郷に対するアイデンティティを獲得することが最大の収穫であろう。つまり、一見相反する民俗信仰とモダンデザインとが組み合わさることで、自分の土地を物語る新たな1ページを創り出し、この新たなセッションとエネルギーが伝統を現代へと繋ぎ合わせているのだろう。